2010/02/24
2010/02/21
2010/02/18
2010/02/13
2010/02/12
久しぶりのパトロール
保護司さんの代わりに3キロばかり歩いてきました。町並みがすっかり変わっているのにびっくりしました。車で通りすぎていると気づかないのに春がもうそこまできていることにも驚きました。以前にあった家がなくなっていたり、きれいな大きなお家が建っていたりしていました。田んぼだったところが立派な公園になっていました。世の中の動きが早いのにはついていけない 歳なんだとちょっとさびしい思いをしたパトロールでした。
2010/02/08
2010/02/07
130年前のおひなさま
上のお雛様は私の長女が生まれた時に旧家の門徒さんから頂戴したものです。その時「このお雛さんはもうかれこれ100年位前のものです」といってられました。その娘も大きくなり40歳近くなりました。2番目の孫が2回目のお節句を迎えるに当たってもう飾りつけました。
大風邪をひいた初孫が胸をキュンとさせてくれました。風邪の原因は私と二人で寒い日に歩いてお出かけをしたことなのではないかと思っています。うちから700メートル程行った所で孫がめずらしく「どこか入ろう」といい、ちょうど門徒さんの責任役員のおうちの傍だったので入り込みそこのお孫さんとあそばせてもらいました。あまりに寒かったので車で送っていただいたのですが、その夜に熱がでて戻し食欲もなくなりました。翌日「ごめんね。バーバーが風邪をひかせてしまってー」というとすかさず「そうじゃないよ。ダーンジャケット着てなかったからだよ。」といってくれました。私の気にしていることをくんで慰めてくれる3歳の孫の成長ぶりを嬉しく思いました。
2010/02/06
覚悟をしていたつもりなのに
今日は同窓会の打ち合わせででかけておりました。うちあわせの最中訃報のメールがはいりました。体がガクガク震え、血圧が急に下がったのか胸がドキドキしました。何を話しているのかわからないくらい動揺してしまいました。その方のお父さんは毎日お寺に来てくださって、子育ての間は勿論のこと、亡くなるまで昼食を共にしておりました。その方の4番目のご子息です。「わしも定年したら寺へ毎日行って親父のようにするわな」と言って下さっておりました。それで暇をみつけては色々と作業をしてくださったのです。趣味も豊富な方なので時間の使い方はその方からたくさん学びました。9月に肺腺癌と診断され桜の花は見られないとお医者様からいわれ半年の寿命でした。またお浄土でお出会いしょうとお別れをしてきました。
2010/02/05
2010/02/04
ハッとしたこと
私たちお寺に住まわさせていただいている者はお仏飯(仏様にお供えするご飯)で生かされていると思い込んでまいりました。お寺によっては精進料理でなければお仏飯とは一緒に食べないと硬く守っておられるところもあります。当寺は朝食だけはそれを守るようにしています。
お内仏の報恩講のご案内状を配って歩いておりました。一人暮らしのおばあさんの家は手渡そうと声をかけました。そうすると当寺のハンコを押した袋を持って出てこられました。それはおさがり(法事の時仏様にお供えしたもの)のはいっているものでした。「お寺から頂戴したマンマンさんにあがったもんを粗末に出来んでこれからお茶するんや。一緒によばれていって」と言ってくださったのです。私自身仏様を大切に日暮らしさせていただいているだろうかとふりかえさせられた言葉でした。
お内仏の報恩講のご案内状を配って歩いておりました。一人暮らしのおばあさんの家は手渡そうと声をかけました。そうすると当寺のハンコを押した袋を持って出てこられました。それはおさがり(法事の時仏様にお供えしたもの)のはいっているものでした。「お寺から頂戴したマンマンさんにあがったもんを粗末に出来んでこれからお茶するんや。一緒によばれていって」と言ってくださったのです。私自身仏様を大切に日暮らしさせていただいているだろうかとふりかえさせられた言葉でした。
2010/02/03
2010/02/02
按摩をしてもらって
1月26日に背中から腰にかけて痛むようになったので、1年ぶりに按摩さんにいきました。実は膵臓がんの人たちが背中が痛んで診察を受けると末期だったという情報を2件うけていたのでこわかったのです。26日に按摩や鍼や灸をしていただきました。その夜のよく眠れたこと次の日には腰の痛みもなく背中の痛みもほとんど消えていました。でももう少し痛いように思うので再受診しました。その時先生が「1年かかって悪くなったのだから1年かけて直すように気長になおした方がいい」といわれました。急に治すと体はよく知っていて甘えるようになるとおっしゃいました。無理をしていたんだと深く反省しているこの頃です。
2010/02/01
裂き織り
今日は裂き織りを思い切り織ることができました。地方によってはボロ織りと呼ばれるそうです。そうなんです。着古した着物や使い古した布地を1センチ位に裂いて横糸に使います。当寺では勿体ないと処分されずたくさんの着物や布地が処分されずにあります。それに昔は亡くなられると遺品をお寺に持ってきておられたようです。先代の坊守は「この着物は○○さんからいただいたんよ」と得意になって着させてもらっていました。そんなことを知っている私も捨てることができずたくさん抱えております。どうしたものかと悩んでいる時であったのが裂き織りでした。なかなか布地が減っていきません。身辺をすっきりとしたいのに。
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